修造コラム | 松岡修造オフィシャルサイト

日々の思いを本気で伝える! 修造コラム

コラム

コラムのRSS Feedはこちら

ファイナル 圭ありがとう

あのアディダスの靴でも有名なスタン・スミスさんのコイントスで全米オープン決勝戦が始まった。
 
今まで、解説などで幾度となく現場で決勝戦を観てきたが、
エンターテーメントの国アメリカニューヨークで行われるグランドスラムはまさにお祭りの雰囲気がある。

その場に日本人、錦織圭がいる。
 
試合が始まる前から僕の心は絶頂に達していた。
嬉しさと、そしてこれから始まる戦いに体の震えが止まらない。
 
錦織圭24歳、マリン・チリッチ25歳。同世代、そして新時代のテニス対決となった。

第1セット 3-6
 
◆出足チャンスが…
 
ファーストサービスを返し相手のミスを誘い、第1ゲームからいきなり30-40ブレークポイントが圭にやってきた!
大きな大きなチャンス。
一気に圭のペースになる大事なポイント。そこでチリッチのスーパクロスフォアハンドが炸裂。
このショットでチリッチの緊張が解け、フェデラーに対しストレートで破った完璧なプレイになる。
 
◆圭、緊張…硬い…
 
当たり前ですよね。
グランドスラム決勝。大きな期待がかかる。
何度も何度も肩で息を吸ったり、足を動かしたり、深呼吸など何度も何度も体の硬さを取り除こうとしていた…
 
◆いつものプレイでなく守り…
 
決勝まで勝ち上がって来た圭の良さは攻撃に徹していたところだが、
体がそうさせてくれない…チリッチに対し5勝2敗。

自信があり、しかも世界トップを倒してきているからこそ勝てる…その思いが圭を狂わせた。
 
だから…
 
◆チリッチがプレイを支配していた。
 
いつもは、圭がストローク戦になるとゲームをコントロールしていた。
今大会初めて圭が感じた、相手から押された状況だった。
 
第1セットのエース、チリッチ11本、圭は2本
この数字は、今までの圭であれば考えられない数字。
 
第2セット 3-6
 
◆リズムが作れない…
 
圭のテニスの良さはリズムが大事。誰よりも速く、重いボールを放つ圭にとって、
少しでもヒッティングポイントが狂うとミスにつながってしまう。
 
力はいるから…
 
思うようなショットが入らない。力むからフレームショット、
またボールにきれがなくなってしまう。
 
そうさせているのが…
 
◆チリッチの攻めが早い。そしてリラックスしている。
 
いつも圭がしていたプレイをチリッチがしているようだった。
 
◆でたっ!チリッチの完璧サービスゲーム
 
第6ゲーム ノータッチエース4本連続
4本連続サービスだけで終わる、ラケットに触らせず終わる。僕もテニス人生で数回あるが(チリッチのコーチ世界一になったイバニセビッチに対し僕も達成したことがある。自慢ではないが彼には2回勝っている。自分の事ですみません…)このパーフェクトサービスゲーム達成するととんでもないボーナスがもらえる。心のボーナス、とんでもなくリラックス、自信が加わるのだ。
 
◆ジョコビッチが『圭のバックは世界一だ!』といったバックハンドのエースが一本
 
ここまで勝ってきた大きな要因に、バックハンドのスゴさがあった。
ストレート、クロスとどこへでも、またバランス崩してもエースをとってきた。
そのバックでポイントが奪えなかった。
 
◆それだけ圭は構えてボールを打たせてくれる状況になれなかった。
 
第3セット 3-6
 
◆チリッチの勢いは誰もとめられない
 
チリッチのテニスは完璧だった
攻撃、守り、そしてメンタル。パーフェクトだった。
チリッチを称えるしかない。緊張して硬くなる大事なところでミスをする松岡修造は
今日のチリッチが出てこなかった。
 
まさに… あっぱれ!
 
それでも…
 
◆圭はネバーギブアップ
 
 圭は、諦めなかった。最後まで。
すみません…破れた圭がセンターコートで肩を落としている姿をみると、もう涙が止まりません。
 
勝ってほしかった、っというより勝たせてあげたかった!
 
圭、ありがとう。
感動、希望、そして可能性をありがとう。
 
感性豊かで優しい素晴らしい選手に育ててくださったご両親、
圭の才能を見つけてくれた島根の柏井コーチ、アメリカの地へ夢を繋げてくださった日本テニス協会名誉会長盛田さんをはじめ、
圭と一緒に夢を追いかけてくださった皆さんに、ただただお礼を言いたいです。

ありがとうございます、おめでとうございます。
 
そして圭
 
あえて言わせてください。
ここからだ!ここがスタートだ!圭の本当の夢を掴んでくれ!
 
悔しい、頑張った、心が感じ動かされた!
 
圭、ありがとう!ありがとう!心からありがとう!
 
ジュニアキャンプと圭の試合観戦で、気合が入りすぎてギックリ腰になってしまった
・・・やはり僕は松岡修造だった!
 
修造