日々の思いを本気で伝える!修造コラム

2016年03月08日【報道ステーション】リオ五輪 サッカー日本代表 手倉森誠監督「震災から学んだこと~誰かの生きがいに~」

今年1月にリオオリンピック出場を決めた日本男子サッカー。

アジア最終予選で劇的な勝利を何度もおさめたそのチームを率いていたのが、

今回取材させていただいた手倉森誠監督です。

情熱的な指導をされる監督ですが、実は、5年前の東日本大震災の経験が大きく影響しているというんです。

当時、被災地のクラブ「ベガルタ仙台」を率いていた監督は、そのときの経験を今若い世代に伝えています。

それは、「誰かの生きがいになる」ということの大切さ。監督の想いは一つです。

 

2011年3月11日のあの日、監督は仙台市内のクラブハウスで震災にあいました。

Jリーグは中断を余儀なくされ、当たり前だと思っていた日常を失ったとき、痛感したことがあったと言います。

それは、「ベガルタ仙台があったから仙台で生活していたけれど、そこにクラブを作った地域がなければ、サッカーってできないんだな」ということ。

恵まれた環境でサッカーをやらせてもらっていたということに改めて気づいたそうです。

スポーツをしている中で、選手や監督が「やらせてもらっている」と感じられることはなかなか難しいですが、それに気づけたことはとても大きいと思いますね。

 

震災から18日目に、初めて選手全員が集まったそうですが、

ベガルタ仙台は、練習よりもまず、地域の小学校を尋ねました。

そこで、選手たちは、子どもたちと一緒にボールを追いかけ、監督も参加!

なぜ参加されたのか伺ってみると、

「この子どもたちが将来地域を明るくしていくと思うと一緒にやりたくなった」

との答えが。

つらい経験をした子どもたちが、笑って楽しんでくれて、逆に選手や監督を励ましてくれた。

その想いに触れたとき、本当にやらなくちゃいけないと固く決意したそうです。

 

震災から44日目に、Jリーグ再開。そして迎えた「仙台対川崎」の試合。

人々の想いにどうしても応えたいこの試合で、前半37分に川崎に先制されたものの、

後半28分で1-1の同点に追いつき、そして試合終了間際の後半42分に、追加点を奪い、2-1と逆転!!

東北に勝利と勇気を届けました!

 

劇的な勝利を一番間近で感じた監督に、どうしてああいう力がやって来たのか伺うと、

監督は「勝負事は人の想いで動くと信じている方だ」そうです。

「劇的な勝ち方」や「神がかり」というのは、スポーツだからこそ起きることだと。

被災地の想いを背負って戦ったベガルタ仙台は、2011年にクラブ史上最高の4位に輝き、さらにその翌年には、2位に!

震災の前年が14位だったことを考えると、すさまじい躍進ですよね。

 

チームを率いた監督の手腕が高く評価され、2013年には、リオを目指すU-21日本代表の指揮官に抜擢されました。

監督が任されたのは、これまでなかなか結果を残せず、谷間の世代と言われてきたチーム。

そんな選手たちにも、「我々が生きがいにならなければならない」という言葉をずっと送り続けていたそうです。

「そういう想いでプレーすることがものすごく大事。だからこそまた応援してくれるし、スポーツの魅力も伝わっていく。そして、スポーツで日本が幸せになっていけばいいな」と。

そして、「日本代表に集まる選手たちは、震災を被災地で経験していなくても、そういうことを感じられる代表選手であってほしい」というのが監督の強い想いです

 

監督のお話を伺っていて、「誰かの生きがいになりたい」と思えることは、すごく幸せなことだと感じました。

監督のその想いは確実につながっています。

震災直後に一緒にサッカーをした子どもたちや日本代表選手もそうですし、

誰かの生きがいになりたいと頑張っている人たちが、この5年間でどんどん増えていって、

その強い想いや強い力が、今の日本を前に進めているんだと心から思いました。